当時の映像 |
映像提供:東京国立近代美術館フィルムセンター
中央線御茶ノ水・水道橋駅間の駿河台の土砂崩れ。 神田川のこの部分は江戸初期の神田川の流路付替によって旧・神田山を湯島台(北側)と駿河台(南側)に分かつ景勝地として親しまれていた。明治に入り甲武鉄道(のち国有化されて中央線)が神田川の南岸部分を開削して敷設、1904(明治37)年、御茶ノ水駅まで延伸された。 映像で見ると、地震によって南側の崖が崩落し、レールが垂れ下がり、路盤ごと崩れて神田川の河道を閉塞しているのがわかる。 |
当時 | 現在 |
撮影場所と撮影方向 | |
青色の点:撮影場所 緑色の範囲:撮影対象 紫色の扇型:撮影方向とおおよその範囲 |
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