当時の映像 |
関東大震災において38000名という最大の殉難者を出した本所被服廠跡の焼け跡の様子。 被服廠跡とは、1919(大正8)年に赤羽に移転した陸軍被服廠の跡地で、学校、駅舎、郵便局、市立公園などとして整備する計画が立てられていた広大な空地であったが、震災発災直後から近隣住民らが避難し始め、地震発生から数時間のうちに彼らと彼らによって持ち込まれた荷物で立錐の余地もなくなったと伝えられる。そこに1日午後には三方から火災が迫り、また当日の不安定な気象条件とも相俟って、大規模な火災旋風が発生、避難民の衣服や運び込まれた大量の家財道具に燃え移り、避難した人々の大部分の命を奪うに至った。 映像では、回向を勧める看板、香華を持つ人、大小の塔婆、逸早く回向の場を設えた日蓮宗はじめ諸宗派の回向所などが順に映る。震災から間もない時候の強い日差しを除ける日傘の人々、強い臭気故か鼻口を手拭いで覆う回向の人、遺体の収容場所を記した木札、焼かれたままの遺骨の山、火葬後の煙、遠望される国技館の残骸と手前には撮影時点でも続いていた火葬の炎なども見出すことができる。 |
当時 | 現在 |
撮影場所と撮影方向 | |
青色の点:撮影場所 緑色の範囲:撮影対象 紫色の扇型:撮影方向とおおよその範囲 |
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