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東京理科大学 辻本研究室

TEL. 03-5876-1372

〒125-8585 東京都葛飾区新宿6−3−1
東京理科大学葛飾キャンパス 研究棟6階

防災「どまんなか」ブログBLOG

2013/5/8

 ブログ、ご無沙汰が続いております。
 研究室の引っ越し(*)で、写真のような表紙の冊子が出て来ました。

 西田さんの恩師(浜田稔先生)の蔵書のようです。この内容を少し紹介し、この冊子(昭和45年)から43年経った現状とを比較して、「防災対策の歴史とその現状」の一例にしたいと思います。
まずは、再開発による江東地区のまちづくりについて、冊子には以下のように記述されています。現状との比較は次報で。

「(1)江東再開発はなぜ必要か
 隅田川と荒川によって囲まれた江東デルタ地帯は、地盤が非常に弱く、今もなお地盤の沈下が進んでおりゼロメートル(満潮面よりも低い)地域がひろがっております。
 また内部には中小河川が縦横にはしり、多くの橋によってそれぞれの地区が結ばれておりますが、これらの橋や護岸が弱いため、大地震がおきた場合には決壊し、ゼロメートル地帯が浸水するおそれがあります。
 さらに、市街地は木造家屋が密集しており、住宅や工場あるいは危険物の貯蔵所などが混在していますので、ひとたび大地震がおこり、同時に多くの火災が発生しますと、大火災に発展するおそれがあります。
 しかも公園や道路などの公共施設が極度に不足しており、災害のときの安全な避難広場や避難路などの整備がよくなされておりません。
 このようにみなさんが住んでおられる江東区は災害(とくに大震火災)に対して極めて危険な状態におかれておりますうえに、日常の生活環境や経済の基盤も極度に悪化しております。
 このため総合的なまちづくりを行なうことによって、大震災のための対策や生活環境の改善、向上をはかると同時に、この地域の経済的、社会的な特性を十分考えた計画の推進が必要です。」

(*)研究室の引っ越し この4月から〒125−0051 葛飾区新宿6−3−1 葛飾キャンパスに引っ越しました。

2013/1/29(番外の続きの続き) 著者の説明

 アンデルセン童話集(岩波文庫)を最後の七巻まで読み進むと、最後に「童話と物語集」解説 1874年(294頁−)があり、本人が以下のように解説しています。

 『「たいしたもの」』という物語では、既存の伝説を用いた。当時スレースウィグ(シュレースウィッヒ)の西海岸で、わたくしは、大潮が襲ってきたときに、沖の氷の上にいた大ぜいの人たちを救うために、自分の家を燃やした老婆の話を聞いたのである。

ということで、物語中の「津波」は、春の嵐とともに来た大潮、で正しいと思います。
 津波は、広辞苑では「大波浪が俄かに海岸を襲うこと」なので、とりあえずこれで決着。

2013/1/17 (番外の続き) 北欧に津波?

 前号での研究室の会話を聞いていた石田さん(ソマリア海賊ブログの発信者)から、こちらに原文が載っていて、原文では津波は出てこない、という指摘のメイルを頂きました。
 上記のHPで、英語の部分しか見ていませんが、there would be an awful storm, with a spring tide の中のa spring tide はウィキでは「《地学》大潮{おおしお}◆干潮と満潮の差が最も大きくなる潮で、新月と満月時から1〜2日後の太陽、地球、月が一直線になったときに起きる。」とあり、春の嵐とともに大潮が来る現象のようです。これを訳した大畑末吉さんが、なぜ訳語に津波を選んだかは面白そうな課題ですが、ちょっと荷が重い。

2013/1/15 (番外)アンデルセン童話の中に、津波の話?

 このところ読み続けているアンデルセン童話の中に、「稲むらの火」にそっくりな話がありました。海岸の小屋に住むおばあさんが、沖の変化(津波の兆候)に気付き、氷結した海岸で遊んでいる大勢の村の人たちに伝えようとするのですが、声が届かず、小屋に火をかけることで村の人々に知らせ、おばあさんを助けようと村人が氷上を離れることで、津波から救われるというものです。研究室の中で回覧し、北欧に津波があるんだろうか?氷山が崩れる際に生じる大波のことを津波と訳したのでは?などと話しています。

完訳アンデルセン童話集(四)、「たいしたもの」、大畑末吉訳、岩波文庫、1984

2012/12/17 あっと驚く第一位

 12月2日、8日と葛飾区「みんなの理科大学」、こうよう会岡山支部で「災害を生き抜くために」という題で講演をしました。
 そのネタ探しに、東京都の地震に関する地域危険度測定調査を11月末に覗いて、びっくり。

 なんと墨田区墨田3丁目は東京都にある5099町丁目で、総合危険度「第一位」!
 下図のような危険度分布図は知っていて、危険度が高いのは知っていたけど、まさかの一位です。2月にアパートを選ぶとき、不動産屋の持ってきた案件は4件で、その中には三丁目以外もあったので、日当たりで選んだアパートが偶然、危険度一位の町丁目にあったわけでビックリです。

http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/bosai/chousa_6/kikendo_map.jpg の一部)
 一方、最も安全な5099位は、千代田区飯田橋1丁目で今の研究室から50mのところ。
毎日、都内一、地震危険度の高いところから安全なところを往復していると思うとなんだか不思議です。この危険度に対する意見は、また後日。

2012/12/12 地域の工夫(3)

 それぞれの現場での対応の一つを紹介します。
 下の写真のように、路地の先が敷地境界の塀で行き止まりになっていると地震時に避難経路が失われる可能性があります。

 そこで、二方向避難を確保するために、写真のように塀の下部を開けて普段は出入りしないが、いざという時には逃げ道になる工夫がとられています。

 実際に通ってみましたが、いざとなれば十分に機能を果たすと判断されます。このように、住宅からの避難経路が一経路しか無いような場では、敷地境界に非常時には通れる工夫を加えて安全を確保すべきです。この工夫は、小生の授業にもよく出て頂く地元の斎藤さんのものです。

2012/12/10 地域の工夫(2)

 前回、天水桶の効用は、初期の火災を消火することと、断水に備えてトイレ用の水の確保と指摘した根拠を。
 図1は研究室の西田幸夫博士(さいたま大学特任准教授)の研究で、江戸時代から現代までの400年に起こった500坪以上の規模の火災を、近いところから順に並べて描いたもので、X軸の値以上の焼損床面積が出た火災の頻度がY軸の値として示されています。この図で言えば、この400年間、江戸東京(範囲は文末の文献参照)で焼損床面積100万u以上の火災は0.1回/年、すなわち10年に一回のペースで起こっていることが分かります。

図1 江戸東京における火災規模と発生頻度(1609年〜1997年)

 このデータを使って、エポックメーキングな出来事の前後で、火災の頻度や規模の変化を読み取ることができます。図2の左側は、江戸の2/3が燃えてしまった明暦の大火(1657年)の前後で比べると、火災の発生に変化が見えないことを示しています。幕府の防災対策(火除け地、広小路、土蔵つくりの奨励など)は幾つも発表されていますが、実際の有効性は見られません。
 一方で、図2の右側は、東京市15区全域に上水道と消火栓が敷設された1899年前後で、火災規模が大きく変わったことを示しています。上水道への給水は1年間で市全域に及んでいるので、高圧で給水される(連続して大量の水が消火に使える)場合(1900−1909の10年間)とそうでない場合(1890−1899の10年間)で、黒線から赤線へ火災規模(特に大規模なものほど)が大きく減じていることが分かります。

図2 明暦の大火(1657年)および上水道と消火栓の使用開始(1899年)による変化

 このように大規模な都市火災の発生を抑制するには、大量に連続して注水することが求められます。
(文献)西田 幸夫、江戸東京の火災被害に関する研究、火災 55(2), pp30-34, 2005.4-

2012/11/19 地域の工夫(1)

 とんでもなく時間が空いてしまいましたが、ブログ、再開します。
 地元で取られている防災対策を取材して、これに感想を述べる、もしくは分析するというのを、しばらくテーマにします。
 最大の問題は、土日は名古屋に戻って、百姓をしているため地元を回る時間が取れないことです。
(ネタに困ったら、「機械は故障する」も)
 まずは、下の写真。
 墨田区京島南公園(通称マンモス公園)の天水桶。
 火災が発生した時にバケツリレー的に火災を消そうというもの。
 江戸時代の天水桶、第二次世界大戦中のバケツリレーからの連想で設置されたものだろう。専門家としては、火災のごく初期(ゴミ箱が燃え上がったくらいの火災)なら効果があるが、火災が一定規模以上になってしまうと効果がほとんど無い。
 水に消火できるのは、火源の温度を下げることで燃焼量が減ることによるが、かけた水は容易に地面に流れてしまうので、実際に温度を下げるのに使われるのは、かけた水のごく一部です。
 そのため火災が進展して、エネルギーをたくさん持ってしまうと表面を水が流れるだけでは、すぐまた燃焼が始まってしまう。
 このことは、江戸・東京400年の火災分析からも明らかです。
 (詳しい説明は次回)
 どちらかといえば、震災時の断水に備えて、トイレ用の水を雨水で確保していると考えた方が実際的だと、専門家としては思います。

2012/8/20 地下駅からの脱出(2)

 まず、ブログが1カ月も途絶えてすいません。(なかなか時間がとれません)
 さて、地下鉄を利用している最中に、地震になり、火災で車両が停止して、危機的な状況になった場合、結局は自分の判断で線路に降り、自力で駅舎まで避難せざるを得ません。この場合、知っておくべき情報として、

1.車両が動力として電気を取り入れる位置が、線によって異なっている。 
 昔、建設された二つの線(銀座線、丸ノ内線)では、できるだけトンネル断面を小さくしたかったので、車両の側面下部から電気を取り入れています。ゆえに線路上を歩くときに感電の危険があり、この二線では注意が必要です。
 他の線では、パンタグラフが車両頂部にあり、基本的には感電の心配がありません。
2.車両によって、脱出用のバルブ(このバルブをひねると、ドアが手で開くようになる)が座席側面だったり、隣の車両への貫通部の上部だったり、見当たらなかったりする。
 これは、主に地上を走る電車では、脱出用のバルブが義務付けられているのに対して、地下鉄の場合は、1.の銀座線、丸ノ内線でのように、線路上を避難することが危険なため、脱出用のバルブが義務付けられていないことによります。ただ、地下鉄の各線が地上を走る各線と直通運転することが増え、同じ線に乗っていても、乗り入れている車両によって、脱出バルブの位置が変わることがあるようで、利用者にはわかりにくい状態です。(先日、久しぶりの銀座線では、脱出バルブが見当たらず。窓ガラスが、中央にポリビニールを入れた合わせガラスだと、余程でないと割れないので、自力脱出不能?ヨーロッパの車両では、窓を割る道具が必ず窓枠に付いてます)

 ということで、通勤に使っている車両では、どこにバルブがあるかを確認しておいて下さい。そして、いざという時。先ずは先頭か最後尾の車両へ移動することを考えてください。そこからは、梯子が用意されていて線路上に安全に降りることができます。それに、乗務員が居る可能性も高いし。確認したバルブを使うのは、余程の時です。でも、満員電車という場合もありますね。

(今回の話は、東京の地下鉄の話になっています。札幌は、車輪がゴムタイヤだし、名古屋は一見、脱出バルブがなさそうで、実際は、座席横に目立たない蓋をされたバルブがあるなど、それぞれで違いがあります。是非、ご自分で確認を)

2012/7/13 地下駅からの脱出(1)

 まず地下鉄車両に、どんな装置が、何のために付いているかを説明します(火災のことも含めて説明するので内容が複雑になることをお許し下さい)。小生の得意な火災の話から。
 韓国・大邱(テグ)の地下鉄火災(2003年2月18日、地下鉄列車へのガソリンによる放火事件。192人が死亡)を受けて、日本では2004年以降に製造された、地下鉄、大規模トンネルを走る車両については、車両間の延焼を阻止する自動閉鎖の防火戸、二方向の非常通報設備(従来のものはボタンを押すだけで、車掌と通話ができなかった)が設置され、天井の材料には「熱放射に対する耐燃焼性を有し、かつ、耐溶融滴下性があること」という条件が付されています。ただし、建築物に対する建築基準法と同じで、遡って基準は適用されませんので、2004年以前の車両であれば、左下の写真のように車両間の扉が何両も空いたままのものもあります。右下の写真は2004年以降の車両のものです。

 実は、貫通部の扉は、1951年の桜木町火災事故(京浜東北線の桜木町構内で、可燃性材料を多用した列車が炎上。焼死者106名。貫通部の扉が内びらきだったことが被害を大きくした)の反省で、当時の国鉄は、貫通部の扉をスライド式の防火扉にしていた。それがいつの間にか、利便性からか、多くの場で扉の無い状態になっていた。その意味で、一昔前の状態に戻ったわけである。

2012/6/25 宿題1

 5月16日のブログ、避難経路と避難時間(2)で家族が来た時の宿題となっていた、部屋の中での避難時間の計測を、嫁さんが東京に出てきたので手伝ってもらった。
 Bアイマスクをつけた上で、何回か回転して方向感覚を失った後で
 CさらにBに家具の若干の移動をして
 であるが、
 Bは、28"61、26"13、35"57
 軽い椅子を一つ、アイマスクをした後に経路に配置してもらっての
 Cは、35"41
 で、結局のところ、動き出す時の最初の向きが結果に大きく影響し、軽い障害物では結果は変わりそうにない、と納得して、実験はそこまでとしました。
 逃げ出す時に空間のどこにいるかを迷わず判断するためには、やはり光源が必要ということで用意しているのが、写真のライト。普段は消えていて、固定しているリングから外れか、停電すると光ります。このライトの位置が分からなくなるようなものを近くに置かないことが、注意点です。

2012/6/13 通勤経路(地下鉄での被災)

 アパートから白髭防災拠点までの避難経路を、何回か話題にしてきましたが、実際には一日24時間の内、電車で通勤している時間が結構あります。通勤経路は、アパートから@東向島→九段下、もしくはA八広→東日本橋(馬喰横山)→九段下を使っていて、あとで述べるように、地下を電車が走っている時間にリスクが集中していると判断しています。ちなみに、@東向島→九段下の経路で、乗車しているうち地下部分だけの時間をストップウォッチで測ると、26分54秒。往復で一日に約一時間、地下を走る電車の中に居ることになります。小生のような通勤をしている人は、多数いると思いますので、電車の中で被災したら、というのも想定しています。

 まず、通勤しているうち電車が地上を走っている時は、余り危険だとは思っていません。速度は速くないし(速いのに乗ってる人は脱線の危険あり)、高架の脱落でひどい目に遭う可能性がゼロとは言いませんが、かなり低い。電車が止まれば、線路上をどんどん歩いて移動すれば、火災でも水害でも多分、大丈夫です(小生の場合は、北へ移動すれば隅田川か荒川の土手に出ます)。一方で、地下に居て、水が入ると厄介です。できるだけ早く駅まで移動して地上へ出ることになりますが、地上へ出ても火災の可能性があって、一息つけない可能性があります。ということで、地下鉄からどうやって脱出するか、を何回か、分析します。

 ところで、小生の住む海抜マイナス1m以上の場所を走っている鉄道は、東武伊勢崎線も京成押上線も高架か地上です。これは偶然か、理屈があるのか、だれかご存知なら教えてください。

2012/6/6 避難経路と避難時間(3)

 「避難経路と避難時間(2)」では、8m道路へ出るまでの障害を指摘しています。すなわち、アパートの部屋の出口から、建物の倒壊があっても何とか通れる道路幅員のところまでの移動が困難だと、避難時間が大幅に増えてしまって、危険度が増すことになります。
 筆者の場合は、アパートの部屋に面した駐車場を経由する経路もあり、比較的スムーズに8m道路に出られると判断していますが、道路幅員の狭いところが続く場所では、家屋倒壊による避難経路の喪失が、避難時間を大幅に増やす点で問題です。
 その意識で、ご近所をうろうろしてみると、道路幅員が狭い場合にもいろいろあることが分かります。写真を上から@、A,Bと呼ぶと、
   @の写真の奥の方のように、道路ギリギリまで建物が建っている場合
   Aの写真のように、塀から僅かな庭を介して建物がある場合
   Bの写真の手前右側のように、大きな庭がある場合
があります。
 一番危ないのは、@で行き止まり、さらにそれぞれの家屋の裏側から容易に他の道路へ出られない場合です。一方、同じ道路幅員でもBのようなところであれば、ブロック塀をスチール製などの軽い塀に変えてもらう必要はありますが、別稿で述べる消火の問題以外は、
今すぐに改善する必要を認められません。
 ところが、道路拡幅の計画は、今の道路幅だけが判断基準で(委員会の資料には道路幅しか示されない?)、@,A,Bの違いはほとんど考慮されません。どちらかと言えば、Bの方が拡幅しやすいために、Bから拡幅が実行される可能性もあると思います。
 都市計画の第一の目的は、住民の生命安全の向上であり、単純に道路を拡幅することではない、と現場に居て、感じました。

@

A

B

2012/5/30 昨日の地震

 29日01時36分の地震、東向島はしっかり震度4。普段は熟睡しているはずなのに、そして実際、寝付いていたのに揺れの初めから認識していて、揺れの途中で玄関まで移動出来ました。

 このアパートでの最初の大きな揺れです。これまでの経験でしか判断できませんが、震度4でこの揺れなら、まぁ下敷きになって死ぬことはないかな、と判断しました。(このアパートの2階が潰れて小生が死ぬような地震なら、近所を含めて東京全滅というレベルでしょう。その場合は仕方なし、という意です)

 まだまだ情報のまとめが残っています。

2012/5/21 閑話休題(アスベストの問題)

 5月16日の朝日新聞夕刊でアスベスト問題が出て、ブログ:アスベスト(3)で述べていることがさらに切実に。新聞は、解体工事現場でアスベスト飛散が問題となり、環境庁が大気汚染防止法を改正し、ずさんな工事への監視を強める方針とある。

 これについて、最新の国交省のデータによると、1000u以上の民間建築物で、アスベストを使用している建物は全国で2011年3月16日現在で、273,551棟。その中に露出してアスベストの吹付がされている建築物が、そのままで5,000棟強残っていることが示されている。

 さらに詳しくは、社会資本整備審議会建築分科会 アスベスト対策部会(第5回)2009年6月12日(金)の配布資料の、別紙3の中で説明されているが、東京都では上記1000u以上の民間建築物は、29,980棟把握されているが、報告率は59.1%(全国平均は83.5%)で異様に低い。さらに小生の住むような500u程度の鉄骨造がどれくらいあるかについては、同じ委員会の議事録に「一方、床面積1,000平米未満の民間建築物、さらには平成2年以降、0.1%の規制が入った平成18年度までに施工された民間建築物をすべてカバーしようというふうに考えますと、戸建て住宅だとか木造の建築物を除外しても、約280万棟あるのではないかというような推計を新たに行ってございます。」とあって、気が遠くなるような不良資産を抱えていることが分かる。(別紙9が全体像の把握には最適)

 この3年前の一連の動きで、まず目標とされるのは、実際にアスベストを使っている建築物の台帳を作り、個々の建築物に使われているアスベストの種類、量、建物用途を把握して、優先順位を付けて政策を決めようというものである。このために調査費用は全額国の負担とされているが、結果を公表できるかについて、この会議の議事録(※直接PDFをダウンロードします。)を見ると、「【事務局】 特に台帳の関係につきまして、まず公開についてですけれども、当然どこまで公開するかというのは今後の極めて重要な議論、特に今回調査費用は全額国が持つと言っていますので、通常とは少し状況が違うんですが、その上で、どこまで公開するのかといったことについて、ちょっと現時点では、まだこうしたいという結論は至っておりません。ただ、公開とは別の問題として、そもそも調査で少なくとも行政が把握すること自体に台帳が必要ですので、まずその作業を先行して始めようという段階でございます。

 公開ということになりますと、アスベストについては、建築基準法等で規制はしておりますけれども、新規に使用することはないので違反というものがございませんので、違反ということですと、通常違反建築物として公表いたしますが、そういう意味では、公表を明示的にできる法的根拠というのは現時点ではございません。」とあり、4月のブログで述べているように、撤去する費用の大半を誰かが負担してくれない限り(しかも、撤去費用は最初に述べている事情でより高くなる)、持ち主の立場からは、調査もしない、建て替えもしない状態で推移して行く以外、選択肢が無いことになる。
 全く同じことが、工場跡地の土壌汚染でも起こっていて、高度成長を成立させるために負った環境負荷を解消するための費用が、果たして成長によって得た富(経済的優位性)に釣り合うのかどうか、真剣に考えるべき時期である。
 蛇足だが、アスベスト問題については、その解決のために、過去にアスベスト建築物を供給した、建築家を含む建設業全体が一定の経済的負担を負うべきことは明らかであり、その方法論も議論されるべきであろう。

2012/5/16 避難経路と避難時間(2)

 アパートの下から避難目的地の白髭防災拠点南入口まで往復しました。行きはゆっくり歩いて12分14秒43、帰りは急いで歩いて9分18秒79かかりました。避難経路に選んでいるのは、以下のように幅員8m以上の道路なので、たぶん10分で移動できるとは思いますが、アパートの部屋を出るまでと僅かですが8m道路に出るまでの障害を考えると、頑張っても発災から15分は、避難時間にかかり、色々と心配なことが出てきます。

 電車の陸橋は、阪神大震災では結構、落下しました。この経路では両サイド(写真では見えない)に別の通路があり、避難にそれほど支障は出ないと判断している。

 正面奥が目的地の白髭防災拠点。右奥は新しく建った高層住宅群。

2012/5/9 避難経路と避難時間(1)

 白髭防災拠点までどれだけ早く移動するかを、A.住居内での工夫 とB.避難経路の工夫で分けて報告します。

 まずはA.住居内での工夫。
 強い揺れで家屋にも一部損傷、停電という状態で、どれだけ早く玄関にたどり着けるかですが、方向性を失うことを念頭に、二つ工夫をしています。寝室の足元のコンセントに、取り上げればスイッチが入る懐中電灯を設置。さらに、これが強い揺れで飛び出して、かつ家具に紛れてすぐに見つからないことを想定して、ベランダの手すり(この部分が構造的に破壊されるような事態になったら諦めます)に蛍光塗料のワッペン(写真)を貼りました。これは偶々、寝室のベランダへのガラス戸の手前に和障子が入っていて(カーテンを付けられず)、いつも外の灯りが透けて見えることを利用し、どっちか外かをいつでも分かるようにする工夫です。
 今のところ、外の街灯の光が強すぎて、蛍光ワッペンはよく見えません。太陽電池で夜になると小さなLEDが光るような仕組みが必要かもしれません。


 次は玄関まですばやく移動する訓練。
 寝室の決まった位置から玄関扉までの移動時間をストップウォッチで計測しました。

@そのまま制約のない状態で
Aアイマスクを着けて
Bアイマスクをつけた上で、何回か回転して方向感覚を失った後で
CさらにBに家具の若干の移動をして

 というので、B、Cは誰か家族が来たときに手伝ってもらってすることに。
 実際に3回づつ、やってみた時間は

@ 8'53、7'14、6'96
A 22'97、20'70、19'69 
でした。Aはアイマスクを付けたせいで、最初2回、測定に失敗しました。
 それぞれ学習効果が少しづつ見られます。B,Cになるとやはり5分はかかりそう。

2012/5/7 生き抜くために(4)

 白髭防災拠点の基本コンセプトは、木造密集地域で震災による大規模火災が起きても、安全に避難できる場所を拠点と隅田川の間の公園地で確保しようというものです。そのために大量の水を屋上にタンク(黄色のタンクです。遠くからでもよく見えます)に保管していて、木密からの延焼を防ぐために集合住宅に防火シャッターを設置し、さらにこれに散水できます。公園地に避難した人が仮に集合住宅の高さ40mを超える巨大な炎の影響を受けても、放水銃で散水して冷却する仕組みも用意されています。さらに関東大震災の時、陸軍被服廠跡で起こった火災旋風(東京市での死者の70%にあたる3.8万人がこの場所で死亡した)を防ぐために,住棟間の隙間には写真のような鉄扉が設置されていて、震災時には閉じて火災旋風の発生を抑えます。

 ということで、海抜からの高さも確保されている白髭防災拠点を久しぶりに訪れて、ギョッとしたのは墨田区対岸のガスタンク2基。せっかく高さ40m、長さ2キロの壁と隅田川の間の公園で、10万人の避難民を救おうというのに。詳細は調べていない(後日、報告します)ので断言できませんが、ガスタンクが爆発すると、少なくとも高速道路上の車には炎からの強い放射があるのでは。ということで、この問題が片付くまでは、防災拠点の東側を避難の目的地にします。なぜなら、生き抜くために(3)の2枚目の写真の部分(木造密集地)は、この30年間で高層マンション群に変わってしまって、昔ほど火災危険を考えなくてもよいと判断できるからです。防災拠点の作る大きな壁の東西を行ったり来たりしながら、様子を見るというのが一番賢明かもしれません。
 下図はグーグルアースからとった防災拠点とガスタンクの関係です。川沿いの高速道路は防災拠点の計画時には無かったのかもしれないけど、ここにもずいぶん、ガソリン(車両)が載っている可能性があり、避難拠点としては推薦できません。

 もう一点、問題点の指摘ばかりで申し訳ありませんが、墨田区洪水ハザードマップ(荒川がはん濫した場合) を見ていたら、防災拠点への入り口のうち、北側には赤い△(水害時危険箇所)が。地震と水害が同時に起こることは考えていないのだろうけど、改善できればして欲しい。
 当然ですが、小生の避難ルートは南側の入り口に至るものです。さて、次報からは住居から防災拠点まで、どうやって早く移動するか、です。

2012/4/26 生き抜くために(3)

 墨田区3丁目から避難するとなれば、当然のことながら白髭防災拠点
 
 実は大学院生の時、恩師の代わりに白髭防災拠点の防災計画を検討する委員会に出席している。内容は忘れてしまったが、起こるかどうかも分からない地震のための対策にこんなにお金と時間をかけるのか、というのが正直な感想だった。(結果として、研究テーマに地震火災は、阪神淡路が起こるまで選択していない)
 工事中の防災拠点を訪れたのは、今から30年前(1982年1月)で今の半分の規模が竣工していた。以下の写真のように周辺は一面、木造密集地で小規模の工場もたくさんあった。

 まずは浸水の問題で、下の精密基盤標高地図(http://www1.gsi.go.jp/geowww/disapotal/seimitu/)のように墨田3丁目はほとんど海抜マイナス1メートルより低い!!これは全く予想外。この図をしっかり見ていなかったので、せいぜい海抜ゼロメートルくらいのつもりでした。これでは、津波が来なくても地震で堤防が破壊(阪神大震災の時は淀川の堤防が危なかった)されれば、川面はゼロメートルより僅かでも高いので、浸水で動けなくなる可能性が…。津波の東京湾からの遡上(地図からだけの素人判断だけど、津波は荒川を遡上して隅田川はパス。まぁ海から直接もある。)もあるので、近場の高いところ(図上の緑のところ)に逃げるのが妥当な選択。
ということで、白髭防災拠点です。ここの話は次報で。

2012/4/25 生き抜くために(2)

 ここで想定する「災い」は強い地震、これに伴う火災の発生、堤防の破壊もしくは津波による浸水である。専門家としての判断は、これら3つの影響をよほどのことがなければ避けられる場所まで、できるだけ早い時間にたどり着き、自立して数日(辻本は48時間を提唱)過ごせるかが生死に大きく影響する。
 集合住宅で滞在中(前報の@)にリスクが多いのは就寝中、かつ停電の発生も考慮して、用意しているのは、

1)第一は寝室の高いところに物を置かない。家具は軽いもので若干の揺れ止めを施している。(家具の固定については、東日本震災後の調査で固定の有無が被害に直接影響していないという結果もあり、きっちり固定したので大丈夫と思わないほうが良い。構造体に直接の被害が出るような大地震であれば、家具を固定している壁がやられる。といって何もしないのはアホでっせ。まずは、部屋の整理が必要!)
2)ハンドルを回せば発電して、ライトが付き、ラジオが聞けて、携帯も充電できる器具と水2リットル(48時間自立するために)を玄関に設置。入浴中の発災も考えて衣服一式をそろえるかどうかは思案中。
3)アイマスクをして、寝床から玄関までを移動する訓練。避難目的地までの経路の習熟とその時間短縮。

 ということで、避難目的地は次報へ。

2012/4/24 生き抜くために(1)

 さて目の前10mにある「ごみ屋敷」は夏の話題にすることとして、本題の「地震・火災・水害」に入ろう。このブログの目的は、60歳の自分を実験台に、これから起こるであろう「災い」のシミュレーションに、(結構、モノグサで手抜きもしたい)防災の専門家としてどう対処するのかを紹介することで、まずはご近所の皆さんの防災の一助にしよう、さらには別の場所でも同じような取り組みをする人が居て、これがそれぞれの地域の短期的な安全性向上につながるだろう、というものである。
 目標は、「災い」に生き抜くことで、財産の保護や他者への配慮はとりあえず考えていない。また、あくまで個人的な判断で、間違っている点もあるとは思うが、これも科学の限界と考えてほしい。まずは、本人についての説明。60歳男性で、運動能力は平均値よりは若干高いだろう。2月の深谷ハーフマラソンが2時間半。ただし、ぜんそくが持病、椎間板ヘルニアは15歳の時から苦しめられていて、左足はこの原稿を書いている時点でしびれがある。ということで、ぜんそくのせいで、お酒が飲めず(若い頃は酒豪でした)、その分、泥酔で行動がとれないということが無い点、世の一般男性の平均よりはリスクが低いということになろう。
 次に死亡リスクを減らす対象の生活パターンの分類であるが、週末は名古屋に戻っているので、東京駅―名古屋間の新幹線、名古屋での生活時間を除く、週106時間を
@墨田区墨田3丁目の集合住宅(鉄骨3階建)での時間   :40時間
A都内での通勤時間                   :6時間半
B研究室および都内各所(野田校舎を含む)        :59時間半
に分けて考える。
 単位時間当たりのリスクが高いのは、どうもAの通勤時間のうち、地下鉄に乗っている時間帯、より詳しくは新しく建設された線で深いところを走っている路線に乗車中であろう。この話は、車内の写真を集めたところで展開したいので、@での対応から始めよう。

2012/4/19 アスベスト3-防火地域指定

 アスベストの最後は、一番、重い話です。転居した墨田区の墨田3丁目では鉄骨3階建ての建物も結構見かけます。全部が古いものとは思いませんが、小生のアパートのようにアスベスト禁止以前のものも多いことは明らか。ということは…。
 研究室では添付の梗概のように、木造密集地域の防火性能を高めるべく制定された防火地域指定(都市計画法8.9条:新しく建築物を建てるときには、鉄筋コンクリートなどの耐火建築にしなければならない。)を受け、さらに不燃化促進助成の対象となっても、木造集宅の建て替え動機がほとんど見られないということです。問題はこの状況にさらに、今回のアスベストアパートのような塩漬け現象が加わること。アスベストの撤去作業には、HPで見る限り、高いところ(木造密集地帯では足場やビニールシートによる隔離も困難)では、8万円/uかかり、3階建てでは24万円/uに。こうなると建て替えの際に土地の値段の半分以上が飛んでしまって、投資そのものができないケースもあるのでは。ということで、木造密集地域では、木造の次に選択された鉄骨造の集合住宅でも建て替え阻害の要因を木造住宅(解体費が土地の値段に匹敵するようなことはない)より深刻に内包している、ということになります。困ったなぁ。
 さてと、これでようやくアスベストから抜けられて、木造密集での防災に入れます。

2012/4/18 アスベスト2-ボーリング場解体の顛末

 アスベストについては、現実での接点として、もう一つ、実家(大阪)の隣のボーリング場の話がある。50年ほど前に鉄骨造で立てられたボーリング場が10年ほど前、解体して高層マンションに建て替わるときの話である。地元の反対運動に名古屋から出かけているうちに、ボーリング場の防音対策に大量のアスベストが使われていることが分かった。
 その解体作業の住民側の監視担当として、安全基準を勉強する環目になった。詳細は忘却の彼方だが、ここで感じた矛盾は、撤去を行う作業者のための環境基準と周辺住民のための環境基準が全く異なり、作業者のためのものが住民対応に比べて、圧倒的に精微で厳しいものであった記憶がある。当然、社会現象としてアスベストを扱う労働者の、悪性中皮腫が問題となっていた背景があるとはいえ、住民側の安全基準は、工事後に敷地境界数か所でアスベスト濃度を測定すればいいものであった。
 偶然出てきた環境測定会社から解体業者へのFAXのコピー(2002年12月7日)によれば、敷地境界No.1-4で測定値がすべて0.3F/邃唐ニあり、基準を満たしていたのだろう。
 今の大阪府のアスベスト対策のHPを見ると、敷地境界基準値超過事例の公表というページがあるが、当時、このような情報の公開はなかったように思う。
 さて、話のオチは、撤去工事終了と言われ、住民代表として解体現場に入ったところ、あちこちに取りきれないアスベストが散見され、再工事となったことである。筆者が国交省の政策審議会委員であることを知りつつの不備であり、アスベスト撤去の困難さを痛感した。

2012/4/9 アスベスト1-肺がんリスクの急上昇

 20年近い昔だが、研究として、いろんな死因による死亡率の経年変化を分析していた時期があった。(事故・災害による人命リスクについての一考察、日本建築学会計画系論文集 NO.467 P.137 1995年1月)
 多くの死因は時代が進むに従って死亡率が下がる中、特徴的に上がるものがあった。これが下図右下の肺ガンで、いろんな死因の中でこれだけ明確に指数関数的に上昇していて不思議だなぁと思っていた。
 Wiki(wikipediaのページへリンクしています。)で見ても、
 アスベストは肺ガンに繋がると判断できるわけで、自分の扱っていたテーマに、日常で面と向かうことなったのは驚きである。仕事が増えるが、住宅内の空気の分析をボランティアで行って、この辺も墨田在住のうちに何らかの発言をしたい。

2012/4/4 都市内の建替えを阻止する要因

 ブログ発信するのは、墨田区に住み始めてから、と思っていましたが、なんと賃貸契約の時点から気がかりなことが。

 先日、不動産屋へ契約に訪れたところ、重要事項説明で、添付のように「石綿使用調査結果の記録の有無」が「無」と説明されました。不動産屋さんの口ぶりは、この時代の鉄骨造では石綿(アスベスト)が使われているのが普通で、調査をすればそれが明らかになってしまうので、あえて未調査とのこと。

 ここでアスベストにかかわる過去の幾つもの話を書かざるを得なくなり、本来書くつもりだった、地震、火災、水害の話に至るまでに随分時間が経つかもしれません。悪しからず。以下3題、アスベスト関係を予告します。

アスベスト1−肺がんリスクの急上昇
アスベスト2−実家のボーリング場
アスベスト3−防火地域指定

 概要としての知識は、こちらあたりで。(all aboutのページへリンクしています。)

2012/2/9 この3月から

 この3月から、6年間住んだ神楽坂(矢来町)から墨田区墨田に引っ越します。
 理由は、
@同居していた子供たち3名が今年度に全て自立し、70平米のマンションでは薄ら寒いこと
A小生の授業など、都市計画や都市の安全に関する講義に定年後、夫婦で出まくっているS夫妻が、ご当地の江戸時代からの地主で色々とサポートを受けられること
B拙書「火災の科学」の第3章で、災いを防ぐには「各自が自らの専門性を生かせるボランティア活動が必要」と書いた手前、専門家として防災上危険と言われるところに身を置いてみようと考えたこと、です。

 現場に身を置くことで、何か未来に役立つことを発信できれば、と考えています。
 乞う、ご期待!


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